公立中学校教師の辛口教育コラム。一般の方に分かりやすく心がけてます。真面目なだけのセンセは服用に際して十分ご注意下さい(笑)
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全国学力テストについて、前回の続きと資料の補足をしておく。

学力テストの結果について、見たら分かる数字を言葉に置き換えているだけの報道が多い中、
この記事は都道府県の差について言及している。ちょっと読んでみようか。

【主張】全国学力テスト 競争封ぜず学力の向上を (2007.10.25 産経新聞)
 小学6年と中学3年約225万人が参加した43年ぶりの全国学力テストの結果が公表された。地域や学校間の差から目をそらさず、これを指導改善に生かしてほしい。

 都道府県別のデータをみると、差が意外に大きい。正答率を100点満点で換算すると、小6の国語で上位の秋田と下位の沖縄では基礎問題(A問題)で9点の差、応用問題(B問題)では16点の差がある。中3の数学では基礎、応用とも上位の福井と下位の沖縄で約20点の開きだ。

 なぜ学力の差がでるのか。例えば沖縄では、今回同時に行われた学習時間や生活習慣などの意識調査で、宿題を出す学校が少なく家庭学習の時間が少ない傾向があった。
 一方で成績がよかった秋田では、夏休みの補習などを行っている学校が多く、地道な学力向上策が効果をあげているともいえる。
 もちろん学力差の要因はこれだけではない。教師の指導法や学習環境、学校教育以外の地域状況などさまざまだろう。各市町村や学校にはそれぞれの成績データが送られており、各教委は学力の実態を把握、分析し、課題を明らかにしてほしい。

 今回は、昭和30年代の学力テストで自治体間や学校間の競争が過熱した反省から、文部科学省は市町村別や学校別のランキングは公表せず、都道府県のデータ公表にとどめた。
 教育界には相変わらず競争や評価を嫌う体質がある。今回の学力テスト実施前にも一部教職員組合が妨害するような動きがあったのにはあきれる。
 全国レベルと比べ地域や学校がどの位置にいるかが分かる全国一斉テストの利点を生かし、学力向上策を競ってほしい。成績の良い学校や教委の取り組みも参考になるはずだ。

 学力低下が懸念される中、今回は改善もみられる。平均だけみると基礎問題の結果は8割の出来だ。しかし三角形の内角の和(180度)のように相変わらず苦手な問題もある。
 さらに「ゆとり教育」が目指した問題解決型の応用問題が苦手な傾向も変わらない。

 教師が独り善がりの授業をしていないか、家庭でしっかり勉強しているか、今回の結果を率直に受け止め学力向上につなげたい。


要するに、学力の差は学校や教育委員会の責任だ、という論調だな。

宿題を出さないことや、夏休みの補習などを行っていることが、地域の格差につながった。
そしてこれは「教師が独り善がりの授業」をすることや「競争や評価を嫌う体質」がまねいた結果だそうだ。だから沖縄や大阪は順位が低いと。

全国学力テストの結果をうまく料理してものを言うのは、なかなか難しい。
新聞各誌の社説を見ても、どうもピンとくるものがない。どこも各項目に解説するのが精一杯というところだ。俺にしてみれは、社説に突っ込む気もおこらない。つまらない。

もちろん教師や教育委員会が改善すべき点はいくらでもある。
そして俺達の力ではどうにもならないシステム上の問題や、予算がらみの行政レベルの問題も。

今回の記事では、沖縄は学校が宿題を出さないから成績悪かったという言い方をしている。
そういえば、俺もほとんど宿題は出さないんだけどな。
宿題は、やるのが当たり前という前提なので、やってこない者が多いと授業が成り立たない。
だから出来るだけ授業の中だけで完結するようにして、宿題は出さないというのが最近の現状だ。

ただ、沖縄に限ったことではないが、過去には宿題を出せる雰囲気でない時代もあったんだぜ。
家で勉強できないような環境の子もいるから、それで宿題を出すのは人権問題だと
おっしゃった団体があったんだから。ま、あえてどことは言いません。
これも激しく地域差はあるので、分かる人にはわかる。西高東低。分からん人はごめん。

生活保護率と成績の関係 ところで前回は、失業率と成績が相関関係にある話を書いた。
この他に、家庭の経済環境を端的に示す数字が生活保護率。
今度はこの生活保護率と全国学力テスト成績との相関関係をグラフにしてみた。

都道府県別の生活保護率は、こちらのデータを使用した。世帯数でなく人数に着目した。
厚生労働省統計表データベースシステム 平成16年 被保護者全国一斉調査 より、
表3 "被保護人員、級地・都道府県-指定都市-中核市別"

失業率と生活保護との相関は、なんとなく想像はついていたが、実証しているのはこちら。
平成17年版 厚生労働白書より 生活保護の地域差とその要因

なぜ地域差が出てくるかという原因分析はこちら。釧路市、大阪市、高知市と、いずれも
学力テストで下位だった地域だ。ちょっと読んでみると教育どころではない実態が良く分かる。
厚生労働省「生活保護率における地域間格差の原因分析のための調査」

その中から大阪市について一部引用してみる。

(1)生活保護率(‰) : 39.0‰
(2)被保護人員(人) : 102,616人
(3)被保護世帯数(世帯) : 77,307世帯
(4)被保護世帯における高齢者世帯数及び構成割合(世帯・%) : 36,954世帯 47.8%
(5)  〃 傷病・障害者世帯数及び構成割合(世帯・%) : 24,060世帯  31.2%
(6)  〃 母子世帯数及び構成割合(世帯・%) : 5,993世帯  7.8%
(7)  〃 その他世帯数及び構成割合(世帯・%) : 10,222世帯  13.2%
(8)生活保護相談件数(H16年度) : 65,879件
(9)新規生活保護申請件数(H16年度) : 23,629件
                              (平成17年4月現在)


被保護人員の割合が資料によって違うのは時期の違い等によるが、ややこしいので説明は省略。
そもそも学力テスト実施と同時期のデータではないので、本当の意味で厳密な相関ではない。
県別の大雑把な傾向が分かっていただければそれでよい。

俺が言いたいことは、たとえば大阪なんてけっこう大変な所なのよ、ということだ。
生活そのものがやっとでは、教育にお金をかける余裕はもちろんないし、中学、欲を言えば
高校まで無事卒業できれば上等。成績がどうこうなんて、そんな腹のふくれないモノ興味なし。

昔は、だからこそ勉強をして這い上がるという夢があって、実際そうやって生活を向上させた。
だが、今は違う。二極分化、そして下流が親から子に遺伝する時代だ。

産経新聞、こういうの分かって物を言ってるのか?

「もちろん学力差の要因はこれだけではない。教師の指導法や学習環境、学校教育以外の地域状況などさまざまだろう。」などと書いているが、論調の体裁を整えるために、申し訳程度に
つけたしただけだろうと想像がつく。

こういう根深いところにある問題に目を向ようとせず、データの意味が読み取れないからと、
安易に学校や教育委員会の責任にして叩いて終り。話題性だけ煽って盛り上げたつもりが、
実は誰も本当の意味が読めないまま関心を失って通り過ぎていく。こういうのを空騒ぎという。

どこかで誰かが、成績と相関関係のある要素を見つけてくれないかと楽しみにしているのだが、
なかなか望み薄のようだ。産経新聞が宿題や補習日数との相関関係を出してくるはずもない。
想像で原因を推測することは出来るのだが、それを立証するとなると難しい。
それが分かったら、ひとつひとつ対策をしていけば、良くなっていくはずなのだが・・・

報道はもう下火だし、結局、話題になったのは都道府県別順位だけか。なんだかなあ。

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信じられんことだが、ついに国が自らいじめの原因をつくりだそうとしている。

メタボリックシンドローム:子供にも基準 「いじめ助長」疑問の声も--厚労省研究班 (毎日新聞 2007年10月28日)
 厚生労働省の研究班(主任研究者、大関武彦・浜松医科大教授)が、小児(6~15歳)のメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)の診断基準をまとめた。今後、日本肥満学会や日本小児科学会などとすり合わせ、関係学会合同基準とする方針。基準を守ることの重要性を広く呼びかける予定だが、専門家の中からは「子どもに基準が必要なのか」と疑問視する声も出ている。

 研究班によると、成人と同様、腹囲が基準に該当し、基準値以上の検査値が二つあると、同症候群と診断する。腹囲は、成長期であることを考慮し、中学生80センチ以上、小学生75センチ以上、もしくは「腹囲(センチ)÷身長(センチ)」が0・5以上とした。

 大関教授は「子どものころには具体的な症状は出ないが、基準に合致する子どもの血管では動脈硬化が始まっている」と説明する。

 これに対し、大櫛陽一・東海大教授(医療統計学)は「成長過程にある子どもを診断するのに、固定した値を設定すること自体、医学的に問題がある。安易に基準が広まれば、子どもの差別、いじめを招きかねない」と批判する。


これはさすがに解説不要だろう。もうあいた口がふさがらない。

だいたい大人の基準でさえ、身長を無視して85センチ以上と言っていた時点でトンデモだが、
今度は小中学生にまで同じことをやってくれた。
医学的に問題も何も、誰が考えたって普通におかしいじゃないか(笑)

だいたい中学生なんて、特に男子は一番の成長期にあたるんだぞ。下は130センチくらいから
上は180まで、つまり小学生サイズから大人並までなんでもありが中学生なのだ。
体重だって、2倍くらいの開きは普通にある。
そんな基本的なことも、この医者達は知らんのか? 

こんな連中に医者の資格はない

医者も医者なら役人も役人だ。厚生労働省って、健康に関するお役所仕事はしていても、
国民の健康のことなんか誰も真剣に考えていないのがこのニュースでもよく分かる。

昔、太った人間をバカにする言葉で「百貫デブ」というのがあった。一貫は3.75キロ。
ご親切にも、これに変わる新しい差別語を作ってくれるらしい。しかも教育の場で。

「うわーメタ坊が来た!」「メタボ認定のくせにうぜーんだよ」

まあ身体検査でウエストは測らないんだが、・・・ん? 

まさかこれから学校でウエスト測れって言うのか!?

そんなもんさあ、わざわざダメ押ししなくたって、太ってる奴はもう見たら分かるじゃないか。
学校で身長と体重で肥満度計算して、太りすぎの子にはちゃんと通知してるじゃないか。
それに加えて国の予算で作ったパンフレットを一部渡してやれば、それで済むじゃないか。
そしてある程度以上の子は、耳鼻科や眼科検診と同じように、病院で診てもらう。
医療機関側で、子どものメタボリック症候群にきちんと対処する体制を国が整備しておけばいい。

なのに、まず基準を公表して、メタボ認定攻撃か? 
「お宅のお子さんはメタボリック症候群です」ってプリント渡すのか? 

「あっ、シーサー君がもらったプリント、メタボ表彰状だ」
「おまえバカか。表彰状じゃなくて認定証だよ。あれもらったらもう人生おしまいだよ」
「女子なんか、もう死んだ方がマシって言ってたぞ」
「うわーメタボ野郎来た来た。こら、触るな! メタボがうつる!」

それも身長無視のウエストだけでメタボリック症候群決定か?
もうそっとしておいてやれよ。
そのうち「うちの子は身体測定受けさせません」って話になってしまうぞ。
だいたい今でも、体重が他の子に見えないように気をつかっているというのに。
それともなにか? 

メタボいじめの責任は国が取ってくれるのか?

太りすぎの危険性を啓蒙するのはおおいに結構。知識を広めるのも大切だ。

しかし、それと子どもの気持ちを考えない無神経な認定をするのとは全く意味が違う。
まして中学生とか小学生とか、とんでもない大雑把なくくりで、身長無視のウエストで。

おーい舛添さ~ん、なんとかしてよ、これ。

そもそも大人の85センチのときに誰も言ってやる者はいなかったのか?
だから調子に乗ってこんなことをやるんだよなあ。学校現場はいい迷惑だぞ。


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全国学力テストの結果がやっと発表された。アクセス解析でも、昨夜から学力テスト関係のサーチワードが激増している。教育再生会議は休眠状態なので、これからしばらく学力テストの結果をじっくりと吟味していきたい。

文部科学省にはすでに結果が公表されているが、生のデータを出されても、一般やマスコミの方々はなかなか読み取りにくいと思うので、できるだけ分かりやすく解説していくことにする。

サーチワードとしては「全国学力テスト 順位」が一番多く、関心の高さを物語っている。
このシリーズの序章として、順位や平均点に踊らされるなという話を9月に書いているので、
まだお読みでない方はそちらからどうぞ。

ということで全国学力テスト、手始めはこの話から。

【学力テスト】県民性反映!? 順位に泣き笑い (2007.10.24 産経新聞)
 全国225万人の小6と中3が参加し、43年ぶりに実施された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)。24日、結果を公表した文部科学省は「競争意識があおられる」と、正答率の順位づけはしなかったものの、目に見える数字を突き付けられた各自治体からは「うれしい。地道な努力の成果」「厳しい結果。ショックだ」と悲喜こもごもの声が聞かれた。都道府県別の格差の背景には、家庭の経済状態が影響しているとみられ、子供たちの学力低下に歯止めをかけようと懸命な教育関係者の前に、新たな課題が浮かび上がった。(以下略)

家庭の経済状態が学力に関係しているなんて、いまさら言うまでもなく当然の話だ。
今回の結果発表はこれを実際に数字で裏付けることになった。

家庭の経済状態を表す統計資料はいろいろあるが、手っ取り早く都道府県別の失業率でいく。
これと全国テストの点数との相関関係を検証してみる。

失業率と成績の関係
まずこの散布図をご覧いただきたい。グラフは俺が独自に描いたものだ。使用したデータは以下の2つ。後者の表は産経新聞が独自に作成したもの。


・平成14年 就業構造基本調査に基づく完全失業率 (総務省統計局)
  都道府県,男女,年齢階級別完全失業率(摘要表)

・「知識定着 応用弱い 全国学力テスト」 (2007.10.24 産経新聞)の記事中にある、
 小中学校(公立)学力テストの結果(PDF形式) ←都道府県別順位を知りたい方はこれ

いかがだろうか。
中位の自治体では大きな差はない。はっきりしているのは上と下。
失業率が高い地域の理由は、各自で考えるなり調べるなりしてくれ。

俺が何を言いたいかって?

学力は、教師の資質とか教育委員会がどうこうとかいう、そんなちまちましたもので
簡単にどうにかなるもんじゃない。

根本にあるのは地域の格差、家庭の経済力だ

だから本気で考えだしたら、この国の社会構造がどうとかいう話になってしまう。
それを語るのはこのブログの仕事ではないので、識者の方にお任せする。

おい、そこの先生。順位なんかで一喜一憂してる場合じゃないぞ。
自分達の力量だけで学力を上げてやるとか挽回するとか妄想してたってダメだぞ。
そんなものは単なるうぬぼれだ。

そこの保護者さん。教師や学校や教育委員会を叩いてなんとかなると思ったら甘いっ!
そんなものは仕事や夫婦間のストレス解消にもならんぞ(笑)

俺達教師のなんとかできる範囲なんて、本当に限られている。
社会全体の歪を見てみぬ振りをして教育の上っ面だけいじくり回しても、効果は疑問だ。
安倍内閣が崩壊したあたりで、そのことに気づいてくれた人がどれだけいただろうか。

何にせよ、俺達公立学校の教師の仕事は、これからますますややこしくなっていきそうだ。

さて、まだ生き残っている教育再生会議がこの結果をどう読むか、楽しみにしておこう。

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文化祭、合唱コンクールの季節だ。合唱コンクールがんばれ!という話は去年書いたので、
まだ読んでいない中学生諸君は読んでみてくれ。
合唱コンクールに向けてクラスでパート練習を繰り返し、そのうちステージ練習もあり、
全員合唱、学年合唱をやっている学校では、ステージへの出入りの練習もやるだろう。

生徒達がステージの上で歌っている間、俺達は客席、じゃなくて体育館の床から見ている。
ステージというのは怖いところで、下から見ているとゴソゴソする奴は実に良く目立つ。
隣としゃべったり前の生徒に蹴りを入れているような、最初からやる気のない奴は問題外だが、
前を向いてそれなりに歌っているのに、グニャグニャして動きが止められない奴がいる。
髪を触ったり鼻をこすったり目をかいたり、手が上がるので大勢の中でもすぐ分かる。
とにかくじっと立って歌うことに集中できない。

顔に手が行くのは緊張をごまかす行動でもあるのだが、本番では逆にきちんと立っていたり
するから、いわゆる舞台での緊張とは違う。どちらかというと多動傾向の方が強い。

こういう多動傾向の生徒は、練習のたびに教師に何度も怒られる運命にある。
まだ小学生が抜けていない1年生ほど、この傾向は強い。

練習を見ていてふと思ったのだが、俺が小学生のときは、歌うとき手は体の後で組んでいた。
目の前でごそごそ手を動かしている連中は、手は後ろでなく体の横にぶらんと下げている。
どちらも自然発生的にしているのではなく、教師の指示である。

体操座りは一種の拘束姿勢である、という話を以前に書いたが、

後で手を組んで歌うのも合唱用の拘束姿勢だ

確かに後で両手をぎゅっとつないでおけば、とりあえず無意識に手が顔を触ることはない。
つないだ両手をほどくという作業が入るので、それがワンクッションとなるからだ。
前の奴の後頭部を小突いたり、隣の奴の背中をこそばしたりするにも、手をほどく必要がある。
それだけでなく、手を後ろに回すことによって多少なりとも胸が開いて姿勢が良くなるかも?
手錠や縄で縛られているわけではないので、物理的な拘束力はゼロに等しいが、
自主的に手を組んでいる限り、手は悪さできない。このワンクッションはけっこう有効だ。

これを考えた教師は、なかなかのものだと思う。実際俺も、小学生のときは何の疑問もなく
手をしっかり後に組んで歌っていた。さすがに中学生にもなってこんな姿勢を取らされるのは
情けないと思うが、いまどきの小学校ではどうなのだろう。まだやっているのだろうか。

俺は別に後で手を組むことに反対しているわけではない。
小学生が、わざとらしく左右そろえて体をゆすったり首を振らされたりするのに比べたら、
手を組むぐらいどうということはない。あれ、やりすぎると見てて恥ずかしいんだよな。

この姿勢の起源や発祥は知らない。おそらく何十年も前に、合唱指導が盛んになった頃に
誰かが言い出したのだろう。あるいは単に「休め」の姿勢をそのまま持ってきたか。

いずれにしろ、俺はつい最近までそのことに気づかなかった。
学校という所には、こういうことがさりげなく伝承されている。
意義が忘れられたままの行動様式や習慣を発掘するのは、けっこう面白いものだ。

いまどき手を後で組んでいるのは応援団くらいだろう。まさかその真似ではあるまい(笑)

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週間マンガ誌モーニングに、こんな原稿募集広告があった。

編集者に会わなくても漫画家にはなれます。
人と直接会うのが苦手な方、外に出るのが億劫な方、だけど漫画が好きな方。
MANGA OPENはそういった方からの応募もお受けします。
選考を勝ち抜き担当者が付いた場合は、電話やFAX、メールなど
可能な限りの手法を使って創作活動をサポートします。
自分の可能性にフタをしないでください。
MANGA OPENはあなたの才能を待っています。


これを読んで皆様はどう思われただろうか。
マンガに興味のない方は申し訳ないのだが、子供の頃ちょっとでも漫画家に憧れたり、
もう少し大きくなって同人誌にかかわったりした経験のある方は、これがどういうことか
すぐにお分かりいただけたと思う。

引きこもりでも仕事が出来るのだ

それもHPとかコミケとか同人誌ではなく、全国誌レベルだ。

こういう広告を出すに至ったいきさつは分からない。
現実問題としてそういうケースがあったのか、これから予想されるのか。
いずれにしても、少なくとも才能と意欲のある引きこもりにとって朗報なのは確かだ。

この広告を初めて目にしたとき、そういう世の中になったのかとしばらく考え込んだ。

人付き合いが一番厳しいのは義務教育の小中学校だ。感情のまま動く情容赦のない世界。
それが嫌で高校はパスしてしまっても、自分でがんばって勉強すれば大検で大学に行ける。

大学は、人とほとんどコミュニケーションを取らなくても、なんとかなる所だ。
教室に一人座って授業を聞き、きちんとレポートを提出しテストを受け、
4回生で少人数のゼミだけなんとかしのげば、さほど苦労することなく卒業できる。

樋口康彦氏は著書"「準」ひきこ森"(講談社+α新書)の中で、これを「準ひきこもり」と呼ぶ。

定義付けについてはいろいろ言われているようだが、大学がそういう場所なのは同意する。
そういえば自分の学生時代にも、そんな奴はいた。いつも教室の前の方に座っているけど、
誰も話したことが無い。知ってるけど知らないあの人。
大学が小中高校と決定的に違うのは「準引きこもり」が可能だということだ。

大学でなんとかやれた準引きこもりも、就職活動は当然うまくいかない。
そして彼らはまた、真性引きこもりに戻っていく。

そんな引きこもりに、メジャーなマンガ誌が道を開いたのは事実だ。
しかし「引きこもりマンガ家、衝撃のデビュー」このキャッチコピーが使えるのは最初だけ。
それでいつまでも商売が出来るほど世の中甘くない。面白くなければ見向きもされない。
人と触れ合うことを避ける者の描いた作品が、人の心をどう動かせるのか。
それもこれも編集部は先刻承知のはずだ。

これがどういう意味を持つのか、俺があれこれ解釈するのはやめておく。

ブログにだって、コミュニケーションを避け一方通行の出力を続けている者はいくらでもいる。
コメントを選択し、自分に心地よいものだけを公開する。少しでも否定的なものは排除する。
誰かが読んでくれていると信じてアクセス解析を眺めることで、社会の中に自分の存在意義を
見つけようとする。
逆に、ネットの中では実社会の自分と違って活き活きとコミュニケーションが取れる者もいる。

編集部はそんな彼らに出て来いと呼びかけている。
才能があるなら、光るものを持っているなら、やる気があるなら、
君のスタイルに合わせようと言っている。

とにかくそんな世の中なのだ。引きこもりぐらいでガタガタ言ってちゃいかんのだ。
世の中は、すでにもう一歩先に進んでいるのだ。

しかし連載を何本もかかえているマンガ家なんて物理的には引きこもり状態に近いよな。
もちろんそれはカンヅメと呼ばれて、引きこもりとは別物なのだが。


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再開した金八先生、第1回目なのでとりあえず見てみた。感想文を書いておく。

「学校の先生はよく見ているのかと思った」と言われることがあるのだが、
残念ながら世間の皆様の期待に反して、教師は昔からあまりアレを見ていない。
実際、今日も職員室で話題に上ることすらなかった。
もっとも最近は職員室でテレビの話などしている暇はないのだが、暇がないだけでなく、
おそらくほとんどの教師が見ていないだろう。

なんで見ないかって?

だって現実と違いすぎるんだもんw

今回も、ああやっぱり変わってないなと思った。
最初は黙って見ているが、そのうち苦笑して眉をひそめてポリポリ頭かいて溜息ついて、
そしてチャンネルを変えてしまうのだ。これが多くの現役教師の反応パターンだ。

もっとも、ただのドラマに何を野暮なことを言うのかと突っ込まれたらそれまで。
刑事ドラマや医者ドラマに海保ドラマ、すべての職業ドラマはあくまでドラマであって
ルポルタージュではない。現実をそのままリアルに伝えるのが目的ではない。

でもねえ、違うのよ。

いつも見ていてイライラするのは、職員室と校長室での金八先生や他の教師、校長との会話だ。
定型化された管理職との対立、アニメより分かりやすく単純なキャラを振分けられた教師たち。

職員室と校長室のシーンはまるで学園コントだ

たちの悪いカリカチュアを見ているような気になる。
世間の人は、学校はあんなものだと思っているのだろうか。
あるいは、こうであって欲しいと思っているのだろうか。

しかしよく考えれば無理もない話だ。
教室のシーンは、誰もが学校で経験した延長線上にある。リアルさも嘘加減も皆が分かる。
それに対して、職員室や校長室の雰囲気は、現職の者しか知りえない秘密の領域だ。
ドラマの作り手も大部分の視聴者も、想像で描くしかない。違和感があって当然だろう。

ところで今回見て改めて感じたのだが、

金八先生は学園ドラマとしては実にシュールだ

何しろ普通の学校生活場面が出てこない。運動場での朝礼とか給食とか掃除とか部活とか、
そういうゴチャゴチャした学校生活特有の煩雑で生活騒音に満ちた活気が感じられない。
櫻中学は学年2クラスだが、隣のクラスの存在さえ感じられなかった。
ドラマに出てきた学校シーンは、3年B組と職員室と校長室、保健室だったかな。
あとはおなじみの登下校風景の土手、生徒の家に繁華街。

学校だけに限定すると、まるで暗黒の宇宙空間に登場シーンのセットだけがぽっかりと
浮かんでいるような空気感。

俺は悪口を言っているのではない。

ある意味で現実離れしたシュールな舞台的空間だからこそ、教室での金八先生の授業が生きる。
毎回順番に、スポットライトを当てられる生徒達のエピソードも、くっきりと浮かぶ。

授業シーン(というか一人語り)と生徒のエピソードには、抵抗なく入っていくことが出来た。
もうね、欲張らずにその2つに絞ってくれたら、とてもいいんじゃないかと思う。

職員室と校長室、あれは「ごもっとも」と「有り得ねぇー!」が混在するカオス空間。
話半分で見ておいてもらえば害はないでしょう、というのが俺の感想だ。

「学校にエアコンつけて廊下に自動販売機並べたら人気が出ますよ」というセリフが悲しかった。
エアコンなんか切実につけて欲しいのに、皮肉たっぷりの捨て台詞にされてるんだもん(涙)


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俺は中学校の教師なので、小学校や高校については業務上必要なこと以外は詳しくない。
しかし無関心ではいられない。もちろん興味はある。

今回は、小学校から大学まで、引用記事をたくさん並べて話を組み立てていく。
長くなって流れがつかみにくいかもしれないが、少々我慢してお付き合いいただきたい。

まず小学校のこんなニュース。

小学生から「負け組」 勉強の目的見えぬ子供たち (毎日新聞 2007年9月21日)
 「勉強が役に立つ」と考える東京の小学生の割合は、世界6都市の中で最低であることが、ベネッセコーポレーションが実施した学習調査でわかった。進学希望でも「四年制大学まで」が18%にとどまり、「中学まで」「高校まで」が合わせて21%と、6都市の中で最も“低学歴志向”が強い。学校外での勉強時間も3時間半以上が14%もいる一方で、「ほとんどしない~1時間半」も半数以上いるなど、二極化が浮き彫りになった。

 調査は東京、ソウル、北京、ヘルシンキ、ロンドン、ワシントンDCの6都市の学校に通う10歳と11歳の小学生を対象に、2006年6月~07年1月にかけて実施した。回答者は5都市で約900人~1300人、ヘルシンキのみ約500人で、計108校。男女比は半々。各都市の公的な教育機関などに依頼したほか、ホームページの学校情報などを参照して、地域の教育水準、学力レベルが偏らないように対象を抽出した。

 「金持ちになるために勉強が役立つ」と考えている子供の割合は、他の都市が6割を超えたのに対し、東京は43%。「一流の会社に入るために(役立つか)」など、経済的な豊かさや社会地位と関連づけた質問のほか、「尊敬される人になるために」「心にゆとりがある幸せな生活をするために」といった質問でも、最下位だった。
 (全文は「続きを読む」に掲載)

興味のある方は原典を読むことをお勧めする。新聞記事では伝わらない面白さがある。
 学習基本調査 国際6都市調査(ベネッセ教育開発センター)

二極分化はいろんなところで言われているし、自分自身も実感している。
学習意欲や生活向上へのモチベーションが低い層が増えているのだ。

調査対象の5年生だと、私立中学受験に向けて毎日バリバリ勉強している子もいれば、
「中学校って何?」みたいな、何も考えていない子もいるだろう。
同じ教室で机を並べていながら、その差は大きく両者の間の溝は果てしなく深い。

そもそも公立中学校へ行くだけなら勉強などまったくする必要はない。
親もわざわざ金をかけて塾へ行かせることもない。
そんな子に進学意識などなくても不思議ではない。

だから、

負け組なんかではない。最初から勝負などしていないのだ

さすがに中学生になると現実が見えてくるので、高校へ行きたい生徒の割合はもう少し増える。

実際、都市部の中学校では、以前と比べると高校進学がずいぶん楽になっている。
「勉強しないと高校へ行けないぞ!」という叱咤激励など、もはや死語と化している。
少子化で私学が生徒の取り合いをするから、完全な売り手市場になっているのだ。
あれこれ贅沢を言わなければ、とりあえず通える距離でどこなりと高校に入学できる。

中卒で就職する生徒も減り、求人も激減した。逆に、就職希望者がいたら、それに合わせて
ハローワーク(職安)が求人を開拓してくるのが現状だ。
それにアルバイトがいくらでもある状況で、わざわざハローワークを通すのも面倒がられる。

そして、ろくに勉強もせずに中学校を卒業してとりあえず高校へ行くと、次はこうなる。

5人に1人勉強せず大学へ 「全入」迫り意欲低下か(京都新聞 2007年9月22日)
 大学進学者の5人に1人が高校3年の時に家でほとんど勉強せず、2人に1人は勉強時間が2時間以下-。「大学全入時代」が目前に迫る中、高校生の深刻な勉強不足の実態が22日、2005年度時点で高校3年生だった生徒を対象に、東大の研究グループが実施した全国的な追跡調査で分かった。

 少子化や大学定員の増加に加え、推薦入試、アドミッション・オフィス(AO)入試の拡大などで受験競争の激しさが緩和されたことが、高校生の学習意欲の低下に影響しているとみられる。

 05年秋の第1回調査で、1年の時、平日に家や塾、図書館などで勉強した時間を振り返ってもらったところ「ほとんどしなかった」と答えた生徒が59%と最も多く、「約30分」13%と「約1時間」17%を加えた「約1時間以下」が89%を占めた。

 調査を担当している東大の金子元久教授は「高校の学習内容が生徒の学習意欲に合致していないのではないか。教育再生会議や中教審の議論は小中学校や大学に目が行きがちだが、高校生のこの状況は深刻だ」と話している。(共同通信)


そして勉強しなくても本当に大学に入れた、という実態報告はこちら。

私大一般入試組、半数割る (2007年9月26日 読売新聞)
 今春、私立大に入学した学生のうち、一般入試で入学した人の割合が初めて半数を割り込んだことが25日、文部科学省のまとめでわかった。

■今春 推薦・AO増加
 「大学全入時代」の到来を控え、書類審査や面接などで評価する「AO(アドミッション・オフィス)入試」や推薦入試で受験生を確保する私立大が急増していることが背景にある。同省は「入試の多様化で、今後も一般入試の割合は減る可能性がある」と指摘している。

 文科省が国公私立の全717大学を対象に行った調査によると、今春の入学者総数は、昨春より約1万800人多い約60万4700人。私立大の入学者は約47万6800人で、このうち、一般入試で入学した人は49・6%にあたる約23万6600人、推薦入試は約19万8100人(41・6%)、AO入試は約3万9200人(8・2%)だった。

 推薦入試やAO入試を実施する私立大は年々増加し、今春、AO入試を実施した私立大は約72%、推薦入試は約99%に上った。これに伴い、私立大の一般入試の入学者の割合は、1996年度の67・4%をピークに減り続けている。

 一方、国立大に一般入試で入学した人は約85%、公立大では約76%だった。


さらに、このAO入試や推薦入試を増加させている大学の事情はこんな感じだ。

AO入試過熱 大学も「青田買い」 (2007年6月11日 読売新聞)
 受験生の意欲や個性などを総合的に評価する「AO入試」で、選考時期や合格者の内定時期を早める大学が目立ち始めた。来年度入試では今月中に内定を出す予定の所まである。

 こうした「青田買い」ともいえる一部の大学の動きに対し、危機感を強める専門学校業界も来年度からのAO入試導入を打ち出した。大学全入時代を迎えて過熱する学生争奪戦に、高校側からは「AO入試が安易な学生確保の手段になりつつある」との批判が出ている。
  (以下省略)

いかがだろうか。
引用ばかりになったが、こうして並べてみると小学校から大学まで一貫したレールが
出来上がっているのがお分かりだろうか。
それはかつて受験戦争とか言われていた時代とは、まったく別物のレールだ。

向上心も学習意欲も必要なく、より良い生活へのモチベーションもなく、程々の金さえあれば、
ダラダラとけだるい態度でずっこけていても、大学まで連れて行ってくれる。
そこにはもう、己を磨き努力して登っていきながら学歴を積むという姿は見られない。
ゆるい滑り台を、重力に引かれるままズルズル滑り落ちているようなものだ。

これはもう、授業時数や教科書の内容を減らしたから学力低下とか、ゆとり教育が悪かった
だとか、そんなレベルの話ではない。

少子化に伴うこの国の教育システム全体のレベルダウンだ

理由は簡単。子供が減ったから。これに尽きる。
従来のシステムのまま子供がどんどん減っていくと、必然的にこういうことになる。

さらに言えば、教育だけでなく就職にしても、表面上はゆるくても実は厳しく暗い状況しかない。
俺は安易に大きな話はしないのだが、こんなことしていたら本当に国がつぶれるぞ。

ただし、国民全体がどんどん馬鹿になっていくかというとそうではない。上は相変わらず上だ。
公教育などに頼らず、塾や私学へ行って高水準を保つことはいくらでも出来る。
有名大学は相変わらず難関だ。小学生から努力を続けた者だけに開かれた世界。
そしてこういう人間が社会を動かす。

別のレールは厳然として存在する

かつて存在した大多数の中庸はもういない。平均点が意味をもたない二極分化の階層社会。
そして二極分化の下の層の相手を、親子共々しなければならないのは、俺達公立学校の教師だ。

教育再生会議の提案していたバウチャー制、今度の文部科学大臣に見事に一蹴されたな(笑)
向上心のない者には学校間の競争など無関係。そもそも地方無視の小手先の技ではな。


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教育再生会議のサイトにあった「過去3ヶ月の教育再生ホットライン・メール投稿状況」を読んでいたら、面白い文章があった。

○ 土曜授業について

・賛成意見 11 件
(例)「小二、五歳児の母です。土曜日授業来年再開してください。 高所得者でもない一般家庭の週休二日は毎回出かけるわけにはいきませんし自宅で学校と同じように学ばせることは難しいですし親は子供が家にいるのでパートにでることもできません。親子ともただぼんやりと一日を終える家庭も少なくないと思います。メリットは何一つありません。私立の子がインド中国韓国の子達が若々しく意欲的に学んでる間に国によって勉強しなくていいと言われているこのおかしな状態をはやくはやくはやく改善してください。子供は新しいことを知ること覚えることが大好きです。」

・反対意見 30 件
(例)「土曜日の授業は絶対反対です。家族で過ごす土日の二日間は家族の交流や安らぎの為に調度良い長さの時間です。我が家では親子でゆっくり、ゆとりを持ってコミュニケーションを取る為にとても意味のある二日間になっています。この二日間がある為に親子関係も希薄にならず、子供の様子もよく感じ取れる気がします。 今日、子供による犯罪や、自殺、いじめなどがある度に親子関係、家庭関係の希薄さや問題を取り上げられていますが、それなのになぜ家族のコミュニケーションの時間を減らしてしまう方向へ進むのでしょうか?学力向上=土曜日の授業に繋げてしまうのは絶対に良い結果へは進まないと思います。」


俺はこれを読んで思わずニヤリとした。
この2つのメールをピックアップして並べた奴のセンスはなかなかのものだ。

こいつは単なる賛成反対の対立意見なんかではない。
この二つのメールは、決してかみ合うことのない二つの層の特徴を、見事に象徴している。

今さら言うまでもない二極分化の典型的なサンプルだ

まず前者の土曜授業賛成派。
このメールは、一見もっと勉強させてくれと要望しているように思えるが、実は親自身は子供に
勉強させる気はない。小2の子供の勉強でさえ家では難しいと投げているし、
それ以前に子供が家にいるとパートの稼ぎが減ると言う。どこかへ連れて行くには金がないし、
一緒に家にいても、親子ともただぼんやりと一日を終えることしかできない。

まるで子供が家にいることが迷惑であるかのような書きぶり。

要するに学校は託児所なのだ

勉強が云々は、それを正当化するための取ってつけた理由にしか過ぎない。

後者の土曜授業反対派。
こちらには勉強のことはほとんど書かれていない。理由は簡単だ。

我が子の学力向上を学校に期待していないからだ

勉強は塾でできるし、元々高度な学習は公立小中学校には無理。
土日が休みなら、1日は塾でたっぷり勉強しても、もう1日は家族で遊ぶこともできる。
低い方に合わせた中途半端な授業の為に家族団欒の貴重な時間を奪うな、ということだ。

土曜授業を要求する者は実は学習は二の次で、本当に学力を重視するものは土曜授業に反対。
なかなかに皮肉な結果だが、現場にいると、どちらも十分にリアルな現実として感じられる。

義務教育の公立学校は、こういう全く次元の異なる要求をまとめて面倒見なければならないのだ。

この2つの間に平均点は存在しない。中を取ってどちらも程々に満足させる答もない。
一億総中流という幻想で夢見ていた時代はとうに終り、圧倒的多数だった中間層は、
減少の一途をたどっている。それを忘れた教育論議など、何の意味もない。
それぞれの層に特化した対応を考えなければ、誰一人満足できない結果となる。
それを忘れていては、何をやっても教師の自己満足に終わってしまうだろう。

民間の発想を取り入れてとか気軽に言ってくれるが、違うニーズが混在しているときはどうする?
誰か教えてくれ。言っとくけど、儲からない部門を切り捨てる訳にはいかないぞ。


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AED(自動体外式除細動器)については、"学校での事故とAED"で書いたのだが、
今回はいいニュースだ。

来年度からAEDの授業 全大阪府立高校で(2007.10.1 産経新聞)
 一時的な心停止患者に対して簡単に救命措置ができる医療機器AED(自動体外式除細動器)の使い方を学ぶ授業を、大阪府教委が来年度から全府立高校に取り入れることが1日、分かった。約150校で導入する予定で、全国初のモデルケースとして注目を集めそうだ。

 厚労省や府教委によると、AEDは心臓発作や急性心不全などの場合、電気ショックを与えて心臓を正常な動きに戻す機械で、平成16年7月に医者や救急救命士以外でも使用できるようになった。全国の交通機関や公共施設、学校などで配備されており、府教委では17年度から府立高校や養護学校などで導入を開始。現在1校に1台、全約170校に配備されている。教員に使用法を研修しているが、生徒はこれまでほとんどの学校で対象外だった。

 今年4月に大阪府岸和田市内で行われた春季近畿地区高校野球大会予選で、投手が打球を胸に受けて心停止になったが、たまたま観戦していた消防署員が球場そばの高校に配備されていたAEDで救助した。こうしたことから、府教委は生徒にもAEDの使い方を習熟させる必要があると判断。来年度から各校で実践していくことを決めた。

 授業では、新たに練習用機器を購入する予定で、初年度は主に卒業を控えた3年生を対象にするが、将来は全員に広げたいとしている。保健体育の授業やホームルームなどで実施する。
                                 (以下略)

学校にAEDを導入するかどうかとか、職員室に1個あるけど誰も使い方を知らないとか、
使い方の研修はいつやるんだとか、そういう寝ぼけたレベルの話ではない。

大阪府は、授業で高校生にAED使用法を教えるのだ

はい、みなさん拍手~!

授業でAED講習を受けた3年生は、卒業してからも、大学で、街角で、職場で、
誰かの貴重な命を救えるかもしれないのだ。そしてこれが何年も続けば、大阪の街には
人命救助の意識とスキルが高い若者がどんどん増えていく。素晴らしい。これぞ公教育だ。
大阪府教委も、いい仕事してるじゃないか。

こういう話はもう、俺の出る幕などない。皆様に知っていただきたいだけだ。

それにつけても思い出すたびに腹が立つのはこれ。

北教組、学校への「AED一方的導入反対」(北海道) (2007年6月13日 読売新聞)

北海道では人の命の価値も低いらしい

しかしその後どうなったんだろうな、これ。北海道教職員組合はホームページもないし、
報道もしてもらえないから、叩くしかないじゃないか。

北教組はともかく、まだ設置してない学校、研修が不十分な学校、もたもたするなよ。
救急救命の意識も技術も高校生以下では、教師として大人として恥ずかしいぞ。


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10月になった。10月1日というと更衣の日。学校に限らず会社や官公庁でも、制服を着ている
ところでは一斉に衣替えをし、夕方のニュースになったりする。
いつまでも厳しい暑さが続いた9月だったが、さすがに10月になると涼しくなっているようだ。

この更衣だが、気候が合わないと一気に切り替えるのは少々つらいものがある。
夏服から冬服に変わる場合、年によっては秋雨続きで9月が肌寒い。10月を待たずに長袖を
着たくなる。冬服から夏服に変わるのは6月だが、5月でも夏のような日差しで、昼間は
Tシャツ1枚でいける気候もある。

だから学校では、更衣は10月1日と決めず、気候を見て時期を調整している。

・・・と思うんだが、どうかな?
気候も生徒の体調も無視して、いまだに杓子定規にやっているところもあるかもしれない。

だって学校ですから

さらに、いきなりの更衣は無理があるので、時期を前後させるだけでなく、更衣移行期間とか
合服期間とか中間着とか称して、夏服冬服を自由に選んで自分で調節できる時期を設けている。
詰襟やブレザーを着ている者もいれば、半袖シャツで走り回っている者もいるわけだ。

え? うちの学校では更衣移行期間なんかないって? 
うーん、お気の毒だがまあそういうこともあるだろう。

だって学校ですから(笑)

移行期間になると制服を自由に選べるから、生徒は各自の体調に合わせていろんな格好を
していそうなものだが、案外そうでもないんだな。

たとえば女子の冬服にベストがある場合、なぜかみんなベストを着たがる。
上着は着ないで、クラスの女子全員が半袖ブラウスの上にベストという格好でいたりする。

理由を聞いてみると「たすきがダサいから」。いまだにたすきのついたスカートを
はかされている、ちびまる子中学校だったのだ。
興味のある方は「女子の制服--ちびまる子の時代」も参照されたし。
ひょっとすると、ちびまる子スカートでない学校でもこの傾向はあるかもしれない。
現役女子中学生、または昔女子中学生だった人の意見も聞いてみたいものだ。

それから男子。詰襟の学校では、いわゆるヤンキーな子ほど早々と詰襟を着る傾向があった。
まだ汗ばむ陽気なのに、数名揃って詰襟を着ていると目立つ。この目立つということが重要で、
詰襟自体に愛着があるわけでもなかろう。

移行期間に見られるこういう傾向は、小さな自由の中でのファッションと捉えていいだろう。
そうするとだな、教師という生き物の中には、それをこころよく思わない人種が必ずいるのだ。
で、どうするかというと、移行期間は夏服冬服どれでも自由のはずなのに制限を加える。

たとえば、「ベストを着る場合は長袖ブラウスと組み合わせること」といった具合に。

冬服に更衣が完了した後も、こういう細かい制限はある。
「上着を脱いでセーターだけにならないこと。暑ければセーターを脱いで上着を着る」とか。

理由は「ベストもセーターも防寒の為に着ているから、そんな着方はしないはずだ」

はい、今そこで「はあ~?」って言って目が点になった人。中学生でも大人でもいいけど、
あなたは正しい。それが普通の感覚だ。なんでこんな意味不明な校則があるかって?

だって学校ですから(泣)

勝手に私服を着ているわけでもないし、裏地に龍の刺繍の入った長ランや短ランで決めている
わけでもない(オッサンしかわからん話でゴメン。懐かしかったんだ)。
スカートを短くしたり腰パンしたりシャツを表に出したりしていなくてもダメ。
学校指定で買わされた高い制服をちゃんと着ているのに、校則違反で注意されるのだ。

中途半端に寒い地域では、こんな校則もある。
「ウインドブレーカーやマフラーは校門に入るときに脱ぐ。部活顧問が許可した場合はOK」

あのさあ、外回りの掃除当番なんか、北風ふいて激しく寒いんですけど。
竹ボウキ持って震えながら掃除してる横で、部活の奴らがウインドブレーカー来て汗流して
走り回ってるんですけど。

たとえば半袖ブラウスでベストを着ることが、いったいどんな罪悪だというのだろう?
意味不明の理由で決められた校則がなければ、その子は何の問題もない普通の生徒なのだ。

生徒指導と称して問題生徒をわざわざ作り出しているだけだ

学校の生徒指導も、こんなどうでもいいことにエネルギー使っている暇があったら、
他にやることあるだろう。なんでもかんでも無意味に規制しようとするから、
本当に大切なことが埋もれてしまうんだよ。

だからといって俺は腰パンやシャツ出しは認めない。理由はちゃんとあるのでまたいずれ。

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